菊池川流域の水は、引かれるだけでなく抜かれることで田を変えた
Mechanism / 自然のはたらき
取水→暗渠排水→灌漑
菊池川流域の水は、川から井手で取水されて用水の不足した新田へ、ダムから台地と平野の農地へと導かれる。一方、沼地の湿田では抜けなかった水が暗渠排水で取り除かれて乾田に変わり、抜いた水もまた水田に活用される。
So What / 見えること
ここから何が言えるか
水田にとって水は、足りない土地へ運ぶものであると同時に、多すぎる土地から抜くものでもあった。
Facts / 事実
・弥生時代、菊池川流域の平坦な土地で、水を引きやすい川沿いで米作りが始まった。
・慶長10年(1602年)、加藤清正による新田開発で、塘下8ヶ村に600ヘクタール以上の小田牟田新地が完成した。この時、木葉川から水を引く井手が造られたが、用水が不足した。
・宝暦14年(1764年)、玉名村出身の小田次左衛門と茂助は、寺田に新しい井手を掘って菊池川から取水し、小田牟田地域の干害を免れさせた。
・近代、菊池川沿いの沼地で、農業技術者冨田甚平は収穫期に水が抜けなかった湿田を乾田に変える暗渠排水技術を開発し、抜いた水を水田に活用する技術も開発した。
・国営菊池台地土地改良事業により、竜門ダムの水が菊池台地地区約4,800haと玉名平野地区約4,400haの農地、合計約9,200haのかんがい用水として補給される。
・慶長10年(1602年)、加藤清正による新田開発で、塘下8ヶ村に600ヘクタール以上の小田牟田新地が完成した。この時、木葉川から水を引く井手が造られたが、用水が不足した。
・宝暦14年(1764年)、玉名村出身の小田次左衛門と茂助は、寺田に新しい井手を掘って菊池川から取水し、小田牟田地域の干害を免れさせた。
・近代、菊池川沿いの沼地で、農業技術者冨田甚平は収穫期に水が抜けなかった湿田を乾田に変える暗渠排水技術を開発し、抜いた水を水田に活用する技術も開発した。
・国営菊池台地土地改良事業により、竜門ダムの水が菊池台地地区約4,800haと玉名平野地区約4,400haの農地、合計約9,200haのかんがい用水として補給される。
Observation / 観測記録(一次情報)
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日本遺産ポータルサイト (確認日 2026-10-16)https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story053/ ↗
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玉名市 (確認日 2026-10-16)https://www.city.tamana.lg.jp/q/aview/591/28081.html ↗
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水土の礎 (確認日 2026-10-16)https://suido-ishizue.jp/kokuei/kyushu/Prefectures/4302/4302.html ↗
※各Factは、一次情報の観測(Observation)をNature Commons編集方針に沿って整理したものです。詳細は各一次情報をご参照ください。
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